スポーツ健康No.22「チーム競技としてのマラソン」(R06/04/15)
「ダイバーシティ」という外来語は、一時の流行語から日本では埋没しているような気がします。その原因として、「ダイバーシティ」を表現する日本語が存在しないことがあると考えられます。ブラインドマラソンでの小さなチャレンジを通じて、ダイバーシティの真の意味を実感しましたので報告いたします。
(1)Sさんとの出会い
Sさんはスポーツ愛好者でしたが、疾病により光を失った障がい者です。活発な性格だっただけに、障がいを負ってからの生活のギャップは大きかったと思います。以前と比べて引きこもりがちになる中でブラインドにも取り組んでいましたが、若者の多いサッカーで限界も感じておられたようです。
そのような中で、伴走伴歩の会に加わられました。体力には自信はおありだったようですが、初めは3kmも走れなかったとのことでした。それでも持ち前の努力で戸田マラソンin彩湖のハーフマラソンを完走し、フルマラソンへの挑戦を思うようになりました。
(2)コロナとの闘い
伴走者とまさに二人三脚で、少しずつ練習の距離を伸ばし、フルマラソンにエントリーされました。
そこに立ちはだかったのが「コロナ禍」でした。ランニングイベントがすべからく中止になったばかりでなく、緊急事態宣言の下では伴走者と練習することすら非常識との風潮もあって、すべての練習を中止せざるを得ませんでした。
(3)失わなかった夢
そんな中でもSさんは走る楽しさ、伴走者と共に過ごす短い時間を取り戻したかったのだと思います。練習会が復活すると少しずつ走る感覚を取り戻し、10km、ハーフと、大会で完走しました。しかし、年齢は65歳を超えていました。健常者でも「市民マラソンランナー」を引退する年齢です。それでも、フルマラソンを完走しないと「マラソンランナー」にはなれないとの思いが強かったようです。ガイドランナーも交代で練習すればもう一度チャレンジできるのではないかとの思いを強くしました。
(4)トラブルとの葛藤
本番3か月前から、平日朝のガイドランナー1名と週末のガイドランナー2名で、週30~40km程度の練習を始めました。しかし、平日担当のエースが膝痛で練習を回避せざるを得なくなり、週末担当のガイドがこれを補うようにプランを変更しなくてはなりませんでした。
また、本番の2週間前になり、レースの半分を担当するガイドが突然の出張で無念のリタイアとなりました。そんな中でも、Sさんは「仕事が優先だから」と笑顔で練習を続けました。
レース当日は、限られた環境で折り返しの後、歩くようになって時間内完走が危ぶまれましたが、どうしても完走したいとの思いが勝り、制限時間が迫る中、見事、時間内完走を果たしました。ガイドランナーも、それぞれ複数の市民マラソンやブラインドマラソン大会を完走して経験しましたが、高齢の視覚障がい者の初マラソンのゴールラインを共に越えることで、今までにはない感動を味わえました。
(5)双方向のダイバーシティ
日本でのダイバーシティは、性別や障がい者の「多様性」を受け入れること、との認識が一般的だと思います。不適切な表現かもしれませんが、パラスポーツも「健常者が障がい者を援助する」との認識が一般的だと思います。今回のチャレンジを通して、少なくともアマチュアのブラインドマラソンは、ランナーとガイドがお互いに高め合うスポーツであるとともに、練習やレースを通してお互いの経験や感覚を共有するということに気が付きました。
もちろん、「障がい者」となることは不幸であることは否めません。一方で、報道等でも障がい者スポーツの意義について目にすることは多くなりましたが、「障がい者」と「健常者」の壁を取り払えるのはブラインドマラソン独特の感覚かもしれません。
人生はしばしばマラソンに例えられますが、ブラインドマラソンは例えではなく「ダイバーシティ」そのものなのかもしれません。
(文・写真:伴走伴歩の会)
この情報は、「戸田市ボランティア・市民活動支援センター」により登録されました。