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文化趣味特集No.20『御鷹場の話(後編)』(R01.08.23)

公開日:2019年08月26日 最終更新日:2022年11月30日
 今は新幹線・埼京線が走り、マンションが林立する戸田が、江戸時代には徳川幕府の御鷹場だったと聞いたことがありますか。
 今回は、そんな戸田の江戸時代の顔の一つ 、御鷹場を見てみましょう。(後編)
文化趣味特集No.20 御鷹場の話(後編)
 ≪戸田市史に見る御鷹場事件など≫


 御鷹場での出来事については、概ね次のような内容の文書が残されていて、当時の状況をうかがい知ることができます。

1) 天明元年(1781)
 12月15日の暮れ方に、上戸田村で烏を殺したと疑われる者を綱差(鷹狩の函を飼育する役人)が見たが、逃げられた。戸田村と笹目村は役所で取調べを受けたが、何者とも分からず、御書付(始末書のようなものか)を役所に提出した。これに関して、厳しく御法 度を順守するよう村中が指示された。
   ※右イラスト=bingオンライン画像を引用しました。
2 )寛政9年(1797)
 尾張大納言様の鷹狩に際し、下戸田村は御召船 l 般、御供舟4般を出したことにより、尾張様から金壱両を頂いた 。

3 )文政5年(1822)
 羽黒山(渡船場の近くにあった神社)大門際に急な雨除けにもなるようなよしず張りの茶店を作りたい。支障が出ればすぐに取り払うので、御慈悲をも って設置を認めていただきたい。

4 )文政9年(1826)
 嵐山源吉は下戸田に住む相撲取りで、この春に本所回向院で興業をしている 。しかし、風が激しいので江戸での稽古を見合わせ 、2月中に晴天の2日間、戸田渡船場近くで相撲の稽古をすることを認めていただきたい。

5 )文政12年(1829)
 役所から、「荒川河原で隠れて鉄砲を撃った者があり、3人の者がその手引きをしたのではないかと聞き及んだので、直接取り調べる」と言われたが、御慈悲で村役人が 調べることを許され、詳細に調べた 。その結果、3 人とも関係はしていないことが分かった。このようなことが起こってはならないので、「過ちが起きないよう村中が真剣に取り組み、今後このようなことが起きたときはいかなる処分も受け入れる」との文書を差し出した 。

6 )天保8年(1837)
 美女木村の百姓2名が鶴を捕獲したらしいとの噂が立った。鶴は貴重な鳥で、将軍だけがとることができる。事実なら重罪であり、鳥見役の耳に入った ら一大事である。名主はこの両名から噂について問いただし、鶴でなかったことにした。二人は「蕨へ行く途中、離れたところに鳥が集まっていた。近づく前に、鷹のような鳥が白い鳥らしいものをつかんで飛び立ったが、その鳥がどこへ飛んで行ったのか 、またつかんでいたのが何だったのか分からない」 と申し立てたことにし、名主はこの申立てを書面にして保管した 。結局、おとがめはなかった。(鶴ではなかった話)
 このように、鷹場内では人が集まること(相撲の稽古)や、家・小屋 ・工作物 (よしず 張りの休憩所)を作ったり大きな木を切ったりするなど、形状を変え る行為は全て御鷹役 所の承認が必要で、しかも一般の役所の承認を得てから御鷹役所に届け出ることが必要だったといいます。また、御鷹役所の許しが出されないうちは、春になっても田んぼに水を入れてはならなかったそうです。

 鷹は山地に生息する鳥です。鷹は山で捕獲され、鷹匠などが生育させて、訓練して御鷹となります。高取山、御巣鷹山などは鷹をとることの多かった鷹の産地なのだと思います。両神村史(埼玉県秩父郡両神村・現小鹿野町)資料編七の 585P (554)には「請取申金 子之事」の表題で、「請取申金子之事 金三両ハ但江戸判也 右是ハ白井差御巣鷹御褒美、美金ニ被下候慥ニ請取申候仍如件 寛文九年酉ノ八月廿五日 忠衛門殿 白井指長衛門㊞」(注)の記事があります。

 寛文 9年は1669年です。鷹(の雛)を捕えた褒美に小判で3 両もの大金を受け取ったという記録で、同地には 「小鷹の沢」 の地名があります。また、乙の時の鷹は陸路で搬出し、寄居あたりからは舟運で運ばれたと伝わっています。御鷹を出すことでご褒美が頂けるのですから、鷹の生育繁殖に支障を来さぬよう、山守に心掛けたことでしょう。

(注)文の読みは次のとおり。
「うけとりもうす きんすのこと / きん三りょうは ただしえどこばんなり / みぎこれは しらいざす おすたか ごほうびきんに くだされそ うろう たしかにうけとりもうしそうろう よってくだんのごとし / かんぶん九ねん とりの 八がつ二十五にち / ちゅうえもんどの /しらいざす ちょうえもん印」

 意味は、「受け取りました金子のこと。金三両 、ただし江戸小判。これは白井差(しらいざす=地名) 御巣鷹ご褒美金として下されたもので、たしかに受け取りました」というもので、以下は日付・あて名・受領者名です。今風に言えば 、ご褒美のお金を名主から受領した際の領収書です 。
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【文責:≪戸田歴史ガイドの会≫ 山中 勇夫】
 ★団体ページは下記URLをご覧ください。
  http://genki365.net/gnkt01/mypage/index.php?gid=G0000122

 ★文化趣味特集No.19『御鷹場の話(前編)』(R01.07.30)
  https://genki365.net/gnkt01/pub/sheet.php?id=138033 

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  掲載:TOMATOホームページ事務局(編集S.Y/校正M.Y)(2019/08/23)

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